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上田家12代当主上田主水安敦/山水軒・譲翁の姿

上田家12代当主 上田主水安敦/山水軒・譲翁が江戸時代、出仕の際に撮影されたとみられる写真がこのほど和風堂の収蔵庫から見つかった。
写真に写っている譲翁は、武家の礼服である「狩衣」姿。写真を包んでいた和紙には「桂宮奉仕ノ節写真」と書かれ、剃髪して譲翁と改める前の名前である、「重美」の印が押されている。撮影された時期ははっきりしないが、譲翁は1862年(文久2年)43歳の時、公事により上京し、浅野長勲公に拝謁した、と記録が残っている。

・ 上田家12代当主 上田主水安敦/山水軒・譲翁 1819(文政2年)~1888年(明治21年)

11代安節の養子だが、実際は10代安世の実子。幼名は順之助、志馬允、のちに馬之進または内記と称した。
幕末混乱時に国老を勤め、征長戦に広島藩の先鋒として出兵、また京都に使いするなど、奔走し功績があった。
維新後、率先して領地を藩に奉還し、重美または千庫を名乗ったが、1871年(明治4年)剃髪して「山水軒・譲翁」と号し、政務から引退。茶の湯三昧の生活に入った。
自他会記に「雅遊謾録」があり、伝えられた茶書の研究、道具類の整理などを預り師範と共に精力的に行った。上田流の茶道において中興の祖と言われる。 また、春舎松陰、蘭亭とも号し、特に和歌をよくしたことで知られるが、和漢の文学にも通じ名君の誉れが高かった。
1888年(明治21年)12月26日没。譲翁以降は神道となったため、法名はない。

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